今回は私が製薬会社の研究員になってからの5年間を紹介します。
私は今年で入社6年目になります。
正直、会社を辞めようと思うこともありました。
もし、あなたが今、仕事で悩みを抱えているなら、少しでもこの記事が力になれば嬉しいです。
目次(クリックすると読みたい部分まで飛べます)
心を壊してしまった3年間
実は私は、順風満帆な研究員人生を送ってきたわけではありません。
正直、入社後3年間はほとんど成果もあげられていません。
会社をやめようと思ったときもあります。
がむしゃらに頑張った日々
病気で苦しむ人の力になりたい。
それが私が製薬会社に入社した理由です。
私は入社1年目のときに祖父を肺がんで亡くしました。
がんを専門に研究していた私は、祖父を亡くした悲しみとともに、がんで苦しむ人を1人でも救いたいという思いをさらに強くしました。
それ故、私は入社後の3年間、がむしゃらに研究に没頭しました。
会議でも積極的に質問し、休日も朝から晩まで専門書を読み漁って勉強しました。
評価されない日々
それでも、私が上司から評価されることはありませんでした。
他人の評価など気にするなと思うかもしれませんが、起きている時間のほとんどを研究に費やしていた私にとって、研究で認められないことはとても辛かったです。
当時の私の上司には、私の弱点や至らない点を数多く指摘されました。
上司はとても優秀な人だったので、『この上司に認められたい』という思いから、私はさらに研究に没頭しました。
それでも、私の行動が上司に評価されることはありませんでした。
心が砕けた日
私は心が砕けた日を覚えています。
それは、部署全体の飲み会の日のことです。
部署の所長も参加しており、私と向かいの座席でした。
所長から、『最近頑張ってるみたいだね』と声をかけてもらい、とても嬉しかったのを覚えています。
ただ、次の瞬間、私の隣に座っていた上司がこう言いました。
『どうですかね、別の部署にいるTaco君の同期の〇〇君のほうが優秀ですよ』
それに対し、所長はこう言ってくれました。
『〇〇君も優秀かもしれないが、Taco君だってとても力をつけてきているじゃないか。Taco君を育てるのは、上司の君の責任だぞ』
所長は私に気遣いつつ、場を和やかにする意味も込めて上司に対して冗談っぽく強めの口調でそう言いました。
内心、私はとても救われる思いでした。
しかし、上司はそれに対してこう言いました。
『〇〇君の上司だったら責任とってもいいですが、、、〇〇君とTaco君ではポテンシャルが違うから、Taco君の責任を取れと言われても厳しいですねぇ』
私には研究員としてのセンスが無いということを皆の前で言われたようなもんです。
その後のことはあまり覚えていません。
とりあえず平気なふりをして愛想笑いし、10分ぐらい経った後に体調が良くないと理由をつけて帰りました。
心は完全に壊れてしまいました。
会社に行くのが怖くなる
次の日から、会社に行くのが怖くなってしまいました。
会社に行っても、なるべく一人になれるよう、空いている会議室で仕事をしていました。
ただ、空いている会議室で1人で仕事をしていても、気がつくとボーッとしてしまい、全然仕事が手に付きませんでした。
メールを返すのも面倒になり、論文を読む気力も湧きません。
部署でおこなわれる進捗共有の会議でも、以前のように積極的に質問できなくなってしまいました。
上司との面談でも自分の足りないところを指摘され続け、研究員としての才能が無いと感じた私は別の職種を探すようになりました。
きっかけは先輩の言葉
あるとき、実験室の掃除をしているとき、先輩が声をかけてくれました。
『困っていない?』
シンプルですが、そのときの私にとっては心に刺さる言葉でした。
ただ、私は弱みを見せることは恥ずかしいことだと思っていたので、『全然困っていないですよ』と元気なふりをしてしまいました。
すると先輩は、
『Taco君の上司の〇〇さん、あれは完全にパワハラだよ。みんなTaco君が頑張っているの知ってるから、何かあったら何でも相談してね』
世界が開けたような気がしたのを今でも覚えています。
当時私は、悪いのは完全に自分で、上司に認めてもらえないのは私のせいなんだと思っていました。
初めての上司だったので、これが普通なんだと思ってしまっていました。
なので、すべて悪いのは自分だと思いこんでしまっていたのです。
私の上司には、私以外にも何人か部下がいました。
蓋を開けてみると、私以外の部下の方も皆悩んでいました。
結果的に、勇気ある同僚が人事部に提言してくれたおかげで、人事部からのヒアリングが入りました。
私はこれまでの事実だけを人事部に伝えましたが、やはり典型的なパワハラだったようです。
その一ヶ月後、上司は別の部署に異動になりました。
格好つけるのをやめた4年目
私は今でも、入社後の3年間は不毛な時間を過ごしてしまったと思う時があります。
でもすべてが無駄だったとは思っていません。
むしろ、特殊な状況だからこそ学べたこともあります。
人の心の痛みや思いやり。
当たり前のことですが、それらがいかに大事かを身にしみて学びました。
そして何より、格好つけるのをやめました。
上司をはじめ、周囲にどう思われようと、陰口を言われようと、自分が正しいと思ったことをする。
死ぬときになって人生を振り返ったときに、『いい人生だったな』と思えるように、自分の人生を生きる。
入社4年目のときに、この心の軸ができました。
それからは担当業務の合間を縫って、新しいテーマを立ち上げるための実験に没頭しました。
そして4年目の夏、はじめて自分で提案したテーマが正式にテーマ化されました。
信頼できる仲間ができた5年目
自分で立ち上げた研究テーマを進めていくと、色んな問題に直面します。
新しい実験系の立ち上げや予想外の結果に対する考察など。
そのどれもが大変骨の折れる仕事ですが、とても充実感があります。
ときには、自分が苦手な分野に直面するときもあります。
以前の私だったら、苦手な分野になると、自分ができないことに目を向けてしまいがちでした。
でも、格好つけるのをやめた私は、周囲の人に自分が苦手なことを相談できるようになりました。
すると、私の苦手な分野について、むしろ得意であるという人は、快く私を助けてくれました。
その代わり、私は私の得意なことを一生懸命に取り組みました。
自分が得意な分野が、誰かにとって苦手な分野であるとき、私は全力でその人の力になるようにしました。
こういう日々が続いていると、自然と周囲に信頼できる仲間が増えていきました。
5年目になって、信頼できる仲間とともに仕事ができる喜びを知りました。
たかが人間、されど人間
『研究』という言葉を聞くと、世間ではとても頭の良さそうなイメージがありますよね。
みんな頭が良くて、淡々と論理的に仕事が進んでいくみたいな。
でも、研究だって所詮は人がやるものです。
人間は眠くなれば頭が回らないし、疲れたらサボりたくなるし、悲しいときは集中できません。
どんなに頭を使う研究だって、たかが人間の仕事です。
でも、心の底から情熱が湧き上がってくるときに、とんでもない力を発揮できるのも、人間の凄さです。
日々医療が進歩しているのも、情熱をもった人間が世の中を良くしようと頑張った努力の結晶です。
たかが人間、されど人間。
研究が人間の手によっておこなわれるからこそ、大切なのは論理よりもまずは感情です。
人間の力を高めてくれるのは、批判や陰口といった負の感情ではなく、称賛や思いやりといった正の感情です。
だからこそ私は全肯定という生き方を選びました。
もちろん、研究に関するガチンコの議論をすることはあります。
けれどそれは、あくまで研究という議題に関してのみです。
絶対に相手の存在や人格を否定したりしてはいけないのです。
まとめ
今回は、私の入社後の5年間を振り返りをさせていただきました。
もしこの記事を読んでくれているあなたが、仕事や人間関係で悩んでいるとしたら、まずは勇気をもって誰かに相談してみてください。
そして何より、この記事を読んでくれたあなたは、周囲の心の声を無視しないでほしいです。
『悩んでそうだな』『落ち込んでそうだな』
誰かを見たときにそう思ったら、何気ない会話でもいいので、まずは声をかけてあげてください。
私は私に声をかけてくれた先輩のお陰で、立ち直ることができました。
たかが人間、されど人間。
研究という論理的な仕事だからこそ、まずは職場の仲間の感情に寄り添ってあげてください。
今回は以上です。